2023年1月25日、東急最後の8500系が恩田に回送されて運用を離脱しました。
通学で8年間もお世話になった田園都市線で長らく主力だった8500系の思い出を振り返ろうと思います。
- 8500系の編成
- 製造年代の違い
- 行先表示器の違い
- 特別塗装-8614F
- 特別塗装-8637F
- 特別塗装-8634F
- 座席の違い
- サークルK
- 変な車番
- いろいろなヘッドマーク
- ちょっと珍しいシーン
- 8500系ギャラリー
- 引退ヘッドマーク
神奈川県某所に住んでいた私は、田園都市線の駅まで東急バスで出て、殺人的混雑の田園都市線に揺られて都心へ向かい、中学、高校、大学と通っていました。
そこで乗るのは40%くらいの確率で8500系で、まさに日常という感じでした。
(とは言っても朝は準急ばっか乗ってたので5000系ばっかりだったんですけどね~)
ただ、私が田園都市線沿線から離れた頃、徐々に8500系が減ってきて、ついに2023年1月に全廃されたというわけです。
8500系の編成
そんな8500系ですが、もともとは42編成400両。
8601Fから8637Fと8642Fが10両編成、8638Fから8641Fが5両編成で運行してました。
主に10両編成は田園都市線、5両編成は大井町線で運用されていました。
初期は10両編成は8両で東横線を走っていたり、5両編成は2つ繋げて10両で田園都市線を走ったりとかもありましたが。
さらに、後述しますが10両のうち一部はもともともっと短かったりします。
こちらは10両の8620F
こちらは5両の8641F
製造年代の違い
細かい形態の違いはいろいろありますが、おおざっぱに8630Fまでは前期車、8631F以降が後期車と言えます。
車体の構造がそもそも違い、後期車のほうが軽量化が図られています。
また、前期車は最初10両より短い状態で運行していたあと、中間車を増結して10両になりました。なので、車体をよく見ると中間車だけ後期車だったりします。
この写真の8616Fの側面と屋根の境界部分をよく見てみると、前期車と後期車の違いがよく分かります。
2両目と3両目の間ででこぼこしてませんか?
2両目は前期車、3両目は後期車なわけです。
行先表示器の違い
また、外観上は3色LEDだったりフルカラーLEDだったり、幕だったりなどの違いも。
もちろん一番最初はみんな幕でした。
基本はこのようにオレンジ色のLED。三色LEDです。
大井町線は2009年からフルカラーLEDになりました。
青各停と緑各停を表示するためには、フルカラーにする必然性があったわけです。
その大井町線のフルカラーLEDはどこから来たかというと、8616Fと8634FについてたフルカラーLEDからの移植だったようです。2008年ころまで、この2編成はフルカラーLEDでした。もう15年も前のお話。
見ての通り、KIYOSUMI-SHIRAKAWAの文字が真っ白です。
幕のまま残されていた編成も1編成だけあり、それが8606Fでした。
前期車は多くが2000年代早めに廃車となり、インドネシアや長野へ行ったりもしましたが、8606Fだけは最近まで原型のまま田園都市線で走り続けました。
特別塗装-8614F
さらにさらに、一部の編成は特別塗装だったりなどなど。
まず、8614Fは長らく伊豆急行カラーでした。
東急からは8500系の親系列である8000系が伊豆急行へ移り、この塗装で走っています。その伊豆急は東急グループなので、伊豆の宣伝的なキャンペーンでこの車両が伊豆急カラーになったわけです。その後ずっとこの色のまま走っていました。
夏には伊豆のなつ号として伊豆の宣伝をやってます。
冬から春には早春の伊豆号になります。
特徴的な側面のカラーでした。
特別塗装-8637F
最後の最後まで残った8637Fは青帯でした。
車内は東急系の広告で統一されていた記憶があります。もちろん晩年はBunkamura号としてBunkamuraの広告をやってました。
その前はイッツコムの広告とか。
10年ほど前までは前面にしゃぼん玉が描かれているのが特徴でした。その後シンプルになってしまいましたが。
特別塗装-8634F
8634Fは、一見普通の8500系ですが、側面にも赤帯が入っていました。
これはTOQ-BOXだった頃の名残。
TOQ-BOXだったころは、もっと派手な装飾でしたので、振り返り。
ちょっと前までは前面にラッパと音符が描かれてました。
もう少し前(もう15年前くらい)には、前面はフルカラーLEDで、側面にもラッパと音符がたくさん描かれていました。
このような感じで、赤帯だけではなく虹とラッパと音符だらけでした。
座席の違い
外観の違いはそんな感じで、室内はまたいろいろややこしい違いがあります。
座席だけでドア横まで座席が詰められている8人掛け仕様や、少しドア横に余裕を持たせた7人掛け仕様、ドア横座席に板を付けた仕様、あとから改造してモケットシートにした仕様、などなど。
こちらは原型の8人掛け座席。
ドア横にスペースがなく、座席カラーの分け目はちょうど中間。それぞれ4人ずつ座ってくれということなのでしょう。
そして、座席の端に板はなく、横向きポールのみ。
こちらは7人掛け。
ドア横に少しスペースがあることが分かります。
よく見ると、座席のカラーの境目は真ん中ではありません。つまり、3人と4人で座って7人掛けにしろということです。
そして、座席の端のポールも8人掛けと少し違って縦のポールが追加されています。
こちらは7人掛けだけど更新されたもの。
一つ一つの座席が区切られていて、明確に7人掛けと分かるようになっています。また、3人掛けと4人掛けの間は色の違いだけではなくポールも追加。
座席の端には板が追加されています。
また、優先席は青くなっています。
このタイプの座席を中心に晩年は座席のカラーが赤くなったものもいました。
こちらは8637F以降の後期車の7人掛け座席。
3人掛けと4人掛けの間を板で仕切っています。なので、みんなしっかり7人掛けで座ったためか、人が座るところだけ色あせてるのがまた面白いですね。
座席の端は板がついてます。
また、8637F以降はドア上に2段LED表示機があります。
すべてのドアに付いてるわけではなく、二つに一つ、左右に交互で付いてます。
さらにさらに、8637F以降だけ自動放送も付いてた気がします。
また、仕様にも違いが。
サークルK
基本的に8500系は東武スカイツリーラインに直通して、東武線の南栗橋と久喜まで行きますが、東武直通用の機器を積んでいない編成が一部ありました。
その、行けない編成には前面貫通扉にⓀのマークがあり、通称サークルKと呼ばれていました。
前期車には複数サークルKがいましたが、早々に廃車になってからは8606Fのみが前期車のサークルKでした。
貫通扉の上にⓀマークがあります。
また、8642Fは特殊な編成で、一番最後に作られた新しい編成であるものの、編成内で3種類の違うモーターを搭載した試験車だったため、東武には直通できないサークルKとなっていました。
こちらもよく見ると貫通扉の上の方にⓀマークがあります。
変な車番
で、この8500系の10両編成ですが、中間車の車番がまたややこしく、編成番号と全く一致しません。
10両で
デハ8500
デハ8800
サハ8900
デハ8700
デハ8800
デハ8700
デハ8800
サハ8900
デハ8700
デハ8600
という構成。先頭車の8500と8600は1編成に1つだから、下2桁がそのまま編成番号になりますが、デハ8700とデハ8800は1編成に3つ、サハ8900は1編成に2つなので、編成番号の3倍、2倍のスピードで増えていきます。さらに、あとから前期車に中間車を増備したりしたので、もうめちゃくちゃです。
そして、42編成も作ると、3倍したら100を超えます。デハ8700とデハ8800の1両ずつの識別は下2桁で行っていたので、途中から足りなくなりました。
そこで登場したのがデハ0700とデハ0800です。8500系の中間車に突如07はじまりと08はじまりの車番が現れるわけです。もうめちゃくちゃですね。
これは、8500系なのに0803という車番。もう無茶苦茶です。
8500系のデハ8800が8899まで使い切ってインフレナンバーになり、以降を0800から採番した結果がこれです。
また、車番で言うともうひとつ面白いものが。
デハ8800があれば、当然ゾロ目のデハ8888もあります。
こちらは8635Fの4号車に組み込まれていました。
8500系が日常的に走ってた頃の写真を振り返りたいと思います。
いろいろなヘッドマーク
田園都市線開業45周年のヘッドマークは8606Fにつきました。
その5年後、50周年も8606Fにヘッドマークがつきました。
新玉川線の開業35周年でもヘッドマークがつきました。こちらは8616F
ちょっと珍しいシーン
見るひと見ると珍しいシーン。
大井町線溝の口延伸前に2日だけ見られた光景。大井町線の折り返し線を使って田園都市線が運行されていました。
今はこのもう一つ外側の線路を田園都市線が走り、ここは大井町線が走ります。
こちらも溝の口。
左は田園都市線渋谷方面、右は大井町線大井町方面。本来ならどちらも奥へ進んでいきます。が、右の大井町線はこっちに向かってきてます。
開業前の試運転と回送が重なり、さらにどちらも大井町線で少数派の8500系が来たからこそ見られた光景です。
長津田の車庫です。
左にはデヤ7200の普段見えない中間側の運転台。右には回送入庫する8614F伊豆のなつ号。
なかなか見れない並びです。
そして、真ん中で寝てるのも、右で寝てるのも8500系です。屋根で一瞬でわかりますね。
たびたび人身事故などで変な行先になります。
幕車なら幕回しで見れても、LEDだと本当にその行先にならない限り見られません。
このときは半蔵門線の神保町折り返しでした。
ちなみに神保町行きは定期列車にはありません。
ここからは、当たり前だった光景の写真を。
8500系ギャラリー
前期車の8617Fと8619Fの並び
この頃は当たり前でした。
コルゲート同士のすれ違いも日常。
前期車8623Fと後期車8632Fの並び。
めっちゃ雪降ってます。
長らく朝だけ走っていた準急にも幕車が入ると、緑色の幕が見られました。
大井町線の各停でありながら、田園都市線の二子新地と高津に停まる各停は、各停は各停でも青各停。この2駅に停まらないのが緑各停。
青を表示するためにフルカラーLEDとなったのが大井町線の8500系です。
当たり前のように8500系が主役です。
どちらもいなくなりました。
2000系は改番で9000系に化けて、大井町線で走っています。
大井町線の8500系は、鷺沼か、長津田に回送されました。その時だけは田園都市線を走行。
初期のころから半蔵門線に直通していたので、地下を走るのもこの車両の日常でした。
東武にも直通して20年近くが立ち、複々線の外側を爆走するのも当たり前の光景でした。
この熊さんもおなじみの光景
ドアの端の引き込み注意のシールは逆に、晩年に設置されたもの。
夏にはこの扇風機をぶん回してました。
それでも朝の殺人的ラッシュは暑かった。
禁煙なんて今は書くまでもなく当たり前。
引退ヘッドマーク
ついに引退が迫った8500系は、ラスト2編成の8631Fと8637Fにヘッドマークがつきました。
8631Fのヘッドマークです。
ヘッドマーク付き。
デハ8631側。
8637Fにも引退ヘッドマークが掲げられました。